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つながりのはなし。


つながりのはなし。
荒木ゆうか

WITH-Ü初めての試みである、毎日ブログリレー。
1人ひとりの文章に個性があって、
日常生活で注目するところも、
それに対する感情の抱き方も、
表現の仕方も違う。
形式も決まっていなければ、かっちり決まったテーマもない。
それぞれが、それぞれの白紙を広げ、思い思いの線をひいていく。
そんな印象を受けました。

みなさんは、どう感じましたか?
誰かが「気付いた」ことを文章で発信し、
また違う誰かが、文章を読んで題材について「考える」。
文章そのものについて何かを「感じる」。
そこからまた、広がって、広がって、広がって。
広がるだけじゃなくて、深まって、違う側面も見えてきて、多角的になって。
つながって、つながって、つながる。

そんな、「つながる」「つながり」ということばをもとに、つらつら述べたいと思います。

***

「今日、人間関係の希薄化は問題視すべき課題のひとつである。」
というのが、私が小論文(*1)で使う必殺技でした。
地域教育に関心があったため、筆者の意見を批判的に見つつ、持論を展開するために用いる決まり文句のようなもの。
高校3年生だった私は、本気でそう思っていたし、人間関係の希薄化が教育の分野において問題視されてきたことも事実です。
けれども、大学生になり、「今日の社会は、再びつながることを可能にしている社会だ」との認識が高まりました。

そのきっかけは、Facebook(*2)というソーシャルネットワーキングサービス、略してSNS。

みなさんにとってSNSとは、どういう意味を持つものですか?
暇つぶしだったり、情報収集するためのものだったり、友だちと連絡をとるためのものだったり。
私にとっても、そうでした。
というか、今でもそのような意味で用いている部分が多いです。
しかし、私にとってFacebookだけは、存在意義がちょっと特殊です。
と、いうのも。
Facebookは、自分のアイデンティティを確立させるための場…のようなものだからです。
情報化社会の波に飲まれすぎているのでしょうか、そんなんでアイデンティティを確立できるわけないというご指摘もあるかもしれませんが。

例えば、何かのセミナーで面白い話を聞いた。それを自分の中で忘れないように、忘れないように、、、と思っていても、いつかは忘れてしまう。
しかし、それを自分の言葉で表現することにより、自分事に落とし込めるというか、自分の考えと結び付けられている気がします。
発信する、という活用方法ですね。

けれども、これだけでは、「そんなの、ブログや日記でもよいのでは?」と、批判できそうです。
ここで主張したいのが、「人とつながる」ということです。
Facebookには「友達」という機能があります。
友達申請をして、許可されて、友達になることができる、そういう機能です。
私は、この機能を「人間関係を再構築する機会」だと考えます。
生きていると、たくさんの人と会います。
同時に、たくさんの人から忘れられていきます。
そんなときに、自分の存在を思い出してもらうという役割を担ってくれるのが、この機能なのではないでしょうか。
そして、各々のFacebookには、自分の考えを綴った投稿があります。それらを含めて「自分」という存在を相手に再認識してもらう機会となるのではないでしょうか。
もちろん初対面の人にも十分効果があります。
短時間で相手の考え方を理解しようなんていうのは難しい。肩書や職業などのレッテルで認識するのも、ちょっと違う。そして、せっかく出会えたのに、「1回きり」の付き合いなんて寂しい。相手のFacebookを覗いてみることは、相手の過去の経験や考えに触れ、これからのつながりにも生かせるものではないでしょうか。

また、「友達」機能のなかのひとつに「共通の友達」というものがあります。
全然知り合いがいないと思っていたのに、意外な接点があって、共通の知人の話題で盛り上がったりできる機能です。
共通点が見つかるだけで、親近感がわいたりすることもありますが、最近気づいたことは、世間は狭いということです。
新しい領域に飛び込んで出会った人が、すでに知り合いの知り合いだったり。本当に、魅力的な人は、魅力的な人とつながっているものです。
身のまわりにどんな人がいて、どんな魅力的な活動をしていて、その人が魅力的と感じる人がこんな人で、その人はこんな活動していて、そんなその人が魅力的…とつながっていく。
「世間は狭い」が広がっていく。
そんな、人と人をつなげてくれるものがFacebookだと思います。

もちろん、人と人をつなげるものはFacebookだけではありません。
あなたにとって、人と人をつなげるものは何ですか?

 


 

私にとっては、以前かえる会の題材にした「百人一首」であったり、
中・高で部活動として続けてきた「茶道」も、人と人をつなげるものの一つです。

百人一首や和歌は、時空を超えて、人の心と心をつなげるもの。
『 忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな』(儀同三司母)
先人の詠んだ素直な恋心に心を動かされたり、
歌を借りて思いを代弁してもらったり。
環境や背景が異なったとしても、つながる。

茶道は、声にならない人の思いと思いをつなげるものです。
掛け軸やお花などの空間や丁寧な動作のひとつひとつで視覚に働きかけ、
お菓子やお抹茶の味で味覚から癒される。
抹茶碗の触感、
釜から聞こえるお湯の沸いた音や柄杓から水を返すときの水音は聴覚へ。
ことばだけではない。
ありとあらゆる全てのもので、お客さまにおもてなしの心を伝えます。

また
今日、人と人における「つながり」だけではなく、知識と知識の「つながり」も重要視されています。
特に、学校教育においては、教科間を横断的に学習するために「学びの有機化」ということが言われています。(*3)

「もの」という媒体を通じて、誰かと、何かと、「つながる」。
その1つひとつの「つながり」を大切にできたら、
人から人へ、糸と糸が絡まり合って紡ぎ合って
あたたかなもので包み込んでくれるような気がしませんか?

***

*1
大学にAO入試Ⅰで受験しようとしており、その1次試験対策のために小論文を書いていました。私にとって小論文とは、どんなに自分の興味分野と離れている課題でも、吸収し、近しいものへと引っ張って発展させていくもの…というイメージなのですが、どうなのでしょう。
小論文は、文章を書く力、課題を読む力だけではなく、単純に知識や先駆者の研究成果も得ることができるので、おすすめです。本当に。

*2
大学に入ってすぐ、「Facebookはしたほうがいい」という助言をいただき、始めたFacebookなのですが、いまではすっかり虜に。
もちろん、怪しげな人もいます。
情報モラル…情報リテラシー…。危険に気をつけて。

*3
例えば、社会科見学に行くとします。
このとき、ただ1つの教科の勉強で済ませるのではなく、会社について学んだり(社会)、自ら調べ学習をしてみたり(情報?)、グループ活動を行ったり(総合?)、マナーを学んで(道徳?)、見学後にはお礼の手紙を書く(国語)といったカリキュラム編成をすること。
もっと勉強的な観点でいうと、「物理」の勉強で答えを求めるために使う計算を「数学」で事前に学んでおく必要があることや、似たような分野を同時期に行うことによって学びに深さと関連性を持たせるといったようなもの。


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