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文を感じる


文を感じる
田中茜里

 

こんにちは。今日から六月です。
伊都キャンパスでも、カエルさんたちの大合唱が聞こえてきます。
じめじめ梅雨の到来…
かと思いきや、清々しい晴れの日が続いて、ご機嫌な毎日です。

 

さて、前回私は、
「まなぶって問いかけることだと思うぜ」
ということをつらつらと語ったわけですが、
今回は、私が大切にしている問いかけについてお話します。

私たちは、毎日様々な知識を手に入れますね。
でも、そういうのって、本当に自分のものになっているのでしょうか?

私は、自分が本当に理解しているかどうかを確かめるために、
「この文章を五感で感じ取れるだろうか」
という問いかけをするようにしています。

「感じ取る」と言っても、別にそんな大仰なことではありません。

 

尾崎放哉の、「咳をしても一人」という句。
教科書にも出てきましたし、ご存知の方も多いと思います。
この句、最近まで本当に理解できなかった。

授業の感想では、
「たった一人の部屋で咳をした時の寂しさを表している」
とか
「咳をしても誰も気にしてくれない心細さが伝わる」
とか、一応書きますけれど、
わざわざ俳句にするほどのことかなぁ…と、思っていました。

するほどのことでした。

 

大学生になり、一人暮らしを始めて、ちょっと体調を崩してしまったのですが、
夜、寝る前にテレビを消して、さあ電気も消そうかというときに、
ゲホッっと一つ咳をしたんですよね。

しんと静まり返った部屋。
そんな部屋とは不釣り合いなくらいの大きな音。
耳の中でうっすらと響く咳。

うわ、なにこれさっびし。

…はっ!これかぁ!!!
ピーンと来ちゃいました。
これが、彼の体験した寂しさ、心細さなのかと。
まあ病床に伏したりはしていないので、
作者本人の苦しさに比べたら、訳ないものではあるのでしょうけど。

 

誰もが体験し得るけれども、誰もが知らぬうちに通り過ぎてしまう。
そんな日常の1シーンに、句にするほどの情緒を感じ取るなんて、素敵すぎると思いません?
いやー感動した。俳句すごい。
尾崎放哉に拍手喝采。
センスをください大天才。チェケラ。

この経験をした後、もう一度「咳をしても一人」の句を見てみると、
そんな感想がどっと押し寄せてきます。

と同時に、

咳の残響や、その時の風景が、
私が咳をする風景、作者が咳をする風景が、
パッと浮かぶんですよね。
体験する前よりも、遥かに鮮明に。

こうやって一度体験すると、
その文章を五感で感じられるようになります。

文の色の深みが増すとでも言えばいいんでしょうか。
その文章が、浮き出て見える感覚。
文章を見ていると、自分なりの“背景”が見えてくるんです。

 

「体験することが大切」なんていうのも、どこかで一度は聞く言葉です。
確かに、知識としてはあるのですが、
この経験を通して、やっと自分のものになった感じがします。
この言葉には、これからも、何かを体験するたびに、
色や背景が加えられていくことでしょう。

 

勉強をしていても、メンバーのブログを読んでいても、
どうしても、目が滑る文章はあります。
背景がどこにも見えない。引っかからない。

でも、それって、素敵なことですよね。
まなべることがまだまだたくさんある、ということですから。

 

 

私の書いているこの文章。
あなたは、どんな“背景”を感じていますか?


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