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「クロップシュトック!」のはなし。


「クロップシュトック!」

何かの呪文みたいですよね。
「タラントアレグラ!*」みたいな。
(*ハリーポッターで「踊れ」っていう魔法だそう)

さて、いま。わかりにくいたとえでしたが「タラントアレグラ!」で笑った人は何人いますか?

きっとその方々は、『ハリーポッター』を読んだことがある、もしくは観たことがある方でしょう。
わたしは実は、『ハリーポッター』を読んだことも観たこともありません。
多分、この文章を読んでも、「タラントアレグラ?なにそれ?蜘蛛の名前?」みたいな気分になると思います。
(ハリーポッターの中でもマニアックな呪文だったらごめんなさい)

冒頭に戻ります。

「クロップシュトック」。

本名、フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック
1724年から1803年、日本でいう江戸時代に生きた、ドイツの詩人です。
ちょうど、享保/天明の大飢饉や寛政の改革などが起きたころ…です。
(写真は、1750年ヨハン・カスパー・フシリにより作画されたもの。Wikipediaより)

彼は、生涯様々な作品を残しています。
…とはいっても、私も詳しくないのが事実。
世界史の授業で取り上げられることもない(であろう)詩人と出会ったのは、一冊の本でした。

その本の名前は、『若きウェルテルの悩み』

同じくドイツの詩人、劇作家、小説家…(その他多数)のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる小説です。
クロップシュトックに反して、ゲーテという名前は、聞き覚えのある方もおられるのではないでしょうか?
そして、彼の代表作ともいえる『若きウェルテルの悩み』。

物語の語り主であるウェルテルと、彼が思いを寄せるシャルロッテ。

(激しい雷雨が過ぎ去った後の場面)
──ぼくらは窓ぎわへ寄った。遠くの方で雷が鳴っている。素晴らしい雨が気持よく地面に音を立てて降っている。
すがすがしいかおりが、満ちわたる温かい大気にまじってぼくらのいる方へ漂ってくる。ロッテは窓の敷居に肘をついて外を見ている。空を見、ぼくを見る。眼には涙があふれている。
ぼくの手に手を重ねて、「クロップシュトック」というんだ。
ぼくはすぐ、ロッテが思い浮かべているクロップシュトックのすばらしい頌歌を思い出し、この合言葉によってロッテがぼくの上に注ぎかけた千百の感情の流れに身を没した。我慢がならず、ロッテの手の上に身をかがめて、歓喜の涙とともに接吻した。そうして再び彼女の眼を見やった。──
(『若きウェルテルの悩み』ゲーテ 高橋義孝・訳)

つまり。

過去の経験(ここではクロップシュトックの詩を楽しむこと)が共通していたことから、現在をより深く共有することができた…ということ。
彼らにとって「クロップシュトック」という詩人の名前には、ただの名前としての意味だけではなく、そこから思いおこされる荘厳な世界観が込められていた。そして、今という景色をそのような言葉で表した彼女の表現力というか感受性というか。
互いによく知らない間柄にあるにも関わらず同じものを思い浮かべることができる、それだけで親密感を得られたり、「伝わってる」を感じることができるような気がします。

現代に置き換えてみても…。
たとえ大学で出会った、たった1年ほどの付き合いの人でも、過去の同じ時期に同じ本を読んでいたり、同じものを見て同じことを思い浮かべたり。共有していない時間であっても、同じ経験を持っている、それだけで、ずっと前からの知り合いだった気がしてきます。
わたしの場合、それらを実感させてくれるいちばんの媒体が小説です。
「なんかこれ、〇〇〇〇(小説家)みたいだね」なんて、比喩になっていない例え方をしてしまったり。
そこには、その小説家の世界観も、描き方も、特徴的な登場人物も、文章の構成も含まれている。
そんなの、もちろん、辞書には載っていない意味であり、経験していなければわかりあえないこと。

そして、初めに挙げた「タラントアレグラ」であってもそう。
もしかすると、その呪文にはいろいろな物語がつまっていて、ププッて笑ってしまう人もいれば、泣きたくなるほど悲しくなる人もいるかもしれない。
あいにく私はこの呪文がもつ世界を知らないので、わかりあうことはできないのですが。
それはそれで、まだまだ広がる未知の世界と自分の知らない秘密の世界に、わくわくしてくるものです。

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リンクはすべてWikipediaにとびます。
冒頭の写真は、中国上海、雨上がりの外灘での1枚。

ちなみに、
上海滞在中にかいたブログはこちら→「上海からこんにちは!


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