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「教育観のゆらぎ。」


「教育観のゆらぎ。」
木佐貫 伊央

 

こんにちは!
WITH-Ü代表の伊央です。

突然ですが、
「あなたにとって、教育とはなんですか。」
(ぜひ、この続きを読む前に立ち止まって考えてみてください。コメント欄でコメントしていただけるととても嬉しいです♬)

今回は、自分の教育観の変化を綴っていきたいと思います。

もともと。

AO入試のときは、
教育とは、
「人と人とのつながりのなかで、個人の資質を引き出すこと」
だと考えていました。

受験生のころ。
平日は朝と放課後、土日も毎日教室に行って、勉強していました。

そこには同じような仲間がたくさんいて。
静かに集中して勉強して。
わからないところはお互いに教えあって。
たまに誰かがクイズを出したり、
つかれたときには階下の自販機にいって飲み物とパンを買い、部活の様子を眺めたりする。

勉強はほんとうに辛かったけれど楽しかった。
僕が、「勉強が楽しい」と唯一感じるのは、決まってテスト前や受験前のときで。
そのせいか、中学も高校も、3年生がいちばん楽しい時期でした。

このような背景から、
「人と人とのつながり」が学びをもたらす。そしてその環境をつくるのが、教育だと思っていました。

ちょっと関連→高校生の時の話by木佐貫伊央

けれど、この春から、教育を専攻として学ぶようになり。
少しずつ、その考えが変わってきました。

「人と人とのつながり」がとっても大切な要素であるという想いは変わらないのですが。

主に、2つの授業が、教育観の心地よいゆらぎをもたらしてくれています。

ひとつは、インフォーマル教育について学ぶ授業。

フォーマルとノンフォーマルの間の、インフォーマル。
僕は、それこそWITH-Üがやっているようなイベントやプロジェクトのようなものがインフォーマル教育だと思っていたのですが…。

例えば、施設のラウンジで、教育者が、「学習者の注意を引くように」読んでいる新聞。
これさえも、「インフォーマルな教育」なのだそうです。

また、「インフォーマル学習」というともっと広義で。
そこらへんに置かれている新聞や雑誌から、バスの吊り広告や芸術作品までが、それに当てはまるのだと。

「ひと」だけでなく、ひとが意図的につくった「もの」だけでも、教育はできるんですね。

そしてもうひとつが、まちづくりやデザインについて学ぶ授業。

教育にも、デザインが必要。

教育って、中身ばかり問われがちだけれど、実は、教育をとりまく環境をもっとうまくつくれるんじゃないか。
そこにデザインという要素をプラスする。
環境をつくる、ひいてはまちをつくる。まちづくりとしてのデザイン。

デザインには全く関心がなかったのですが、
この授業を聴くにつれて、完全に惹きこまれました。

「もの」だけでなく、それが置かれる環境さえも、デザインすることができる。
すべてをこだわり抜いたところに、理想の教育に近いものが、あるのだろうなと思います。

ただ。
いくら素敵な「ひと」がいても。
いくら素敵な「もの」や「環境」があっても。
知らなければ、伝わらない。

先日訪れた東峰村で、メディアの教育的意義についても再認識しました。
伝える、という行為の素晴らしさを噛み締めています。

ちょっと関連→教育者としての私たちby村川帆香

ゆらぎのなかのいまの答え。
教育とは、
「なにかしらデザインされた空間でおこなわれる、個人が選択肢を多彩にするためのもの」

みなさんにとっての「教育とは」も、ぜひコメントで聴かせてください!

それでは!
こう見えても元サッカー部でワールドカップが楽しみな伊央でした!


コメント

  1. KS より:

    初めてブログを読ませていただきました、九大理学部の2年です。木佐貫さんの高校時代の勉強の景色は自分の受験期の景色と重なるところがあり久々に当時を思い出しました。
    私は「メディア」というものはラジオや新聞などに留まらず、「環境」にまで拡張できると考えています。自分がモノを伝えようとしたときに媒質として使えるものはメディアと呼べるのでは、という考えです。インフォーマル学習という概念に近いのかなと思いコメントさせていただきました。

    1. with-u より:

      KSさん

      はじめまして!
      コメントありがとうございます。

      受験期の景色、共感いただけて嬉しいです。
      僕にとってはあの景色が、教育を学ぶ上で、教育観にもモチベーションにも影響を与えている、
      ひとつの原点になっているように感じます。

      環境そのものがメディアになりうるという視点、非常に興味深く読ませていただきました。
      僕も、メディアは、ラジオや新聞など、
      いわゆる「情報を伝えるためだけ」の媒体に限らないと思います。

      日常において、ふと目にしているけれど、意識しているわけではないもの。
      そんなモノや環境は、無意識下で人々に影響を与え、長い時間をかけて消化されて「伝わる」。
      どんなモノや環境でも、メディア、つまり、インフォーマル教育の教育者になり得ると思います。

      教育は学校だけでも、目に見えるものだけでもなく。
      むしろ、それ以外の部分の方が、ひとが学ぶ基盤やきっかけになるという点では重要かなと。
      個人的には、「インフォーマルな教育×環境的なメディア×包括的なデザイン」という分野に挑戦してみたいと思っています。

      長文で、かつコメントへの回答となったかは自信がないですが…

      ありがとうございました。
      今後とも、よろしくお願い致します。

      木佐貫伊央

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