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じかんこわい


じかんこわい
田中茜里

 

こんにちは。
『まんじゅうこわい』みたいなタイトルで始まりました。
私あの話大好き。

 

それはいいとして、前回私は、
「体験して、文を感じてみよう」
というお話をしたわけですが、
今回は、私が最近した新たな体験、その時感じた疑問、
そしてそこから考えたことについて、
語ってみようと思います。

 

先日、わたくし山に登って来ました。
山と言っても、普通のスニーカーで登れるくらいの、
小中学生の時にしたであろう、宿泊研修でうろうろするくらいの、
おじいちゃん達がウォーキングしているのをちらほら見るくらいの、
そんくらいの山です。伝われ。

そこで、ぜぇはぁ言いながら登っていた時に(田中は体力がありません)
ふと、ああーーこれ、帰りもこの道を歩かないかんのかあああしんど
という絶望感に襲われました。

その絶望感と一緒にですね、
なんとも不思議な感覚に襲われたのです。

わたし今、未来を生きてる…。

特殊能力じゃありません。
希望に溢れたJ-POPの歌詞でもありません。

確かに、時間は今も進んでるんですけど、
頭の中に流れる時間は、未来なんです。
頭の中では「未来」を生きとるんです。
…なにこれ説明難しい。伝われ。

 

逆もあります。つまり過去ですね。
1人暮らしを始めてからたまに、母から手紙が届きます。

その手紙を見るとき、
明日香ちゃんのブログ(→こちら)でも書かれていたように、
嬉しさや温かみも、もちろん感じます。
でも、そのほんわかした気持ちを感じる瞬間は、
私は、過去を生きているのだということに気づきます。

私が考えているのは、あくまで過去の母のことなんです。
手紙を書いてくれているときの母親のこと。

この時は、「過去」の時間が頭の中で流れています。

 

なんかこう…確かに、私の体はここにあるのに、
魂だけが、ピョ~ッとどっかに飛んでいく感覚。

これ、めちゃくちゃ怖い。
え?あれ?時間って何だっけ…?
なんか、あれ、私生きてるよね…???????
という感覚に陥るのです。

伝わってるかなこれ。
難しいですね、自分の感覚を書き出すのって。
自分でもわかんなくなってきた。

 

もうね、こういうことを考え始めると、
知識が足りなさすぎることへの無力感がハンパなくなります。

もしかしたら、哲学を学んでいる方とかからしたら、
こういう疑問は、もうとっくの昔から考えられていることであって、
そんな大げさにわたわたすることでもないのに…とか、思われるのかもしれません。

 

でも、こうやって疑問を持った時に、大切なのは多分、
自分の疑問を矮小化しないこと、だと思うんです。

他の人にとってはどうでもいいことだろうと、
他の人が既に解決したことであろうと、
自分にとっては、大きな疑問なのです。

 

ここでは、疑問という言葉を使っていますが、
これは、私が自分の悩みを考えるときに、気を付けていることです。

すぐに、どこの誰とも知らない人々と繋がれるこの世界では、
私よりもつらい思いをしているんだろうな…
という方をたくさん見ちゃうわけですよ。

私は、割とそういう考え方をしがちで、
この人の方がつらい思いをしているんだから、
こんなちゃらんぽらんに生きている私が、うーうー唸ってちゃだめだろうと、
そう思っちゃう。だから、

いや関係ないから!!!!!
世界ってなんやボケ!!!!!
偉そうに、あの人の方が辛そうとか言ってんじゃねええ!!!
という喝を自分で入れながら生きています。

 

過ごしてきた環境も、
関わってきた人間も、
まなんできた事柄も、
みんなみんな違うわけでですね。
悩みに大も小もないと。

…散々べらべら喋ったくせに、着地点は無難なところに収まりました。

 

まあとにかく、自分がふと持ってしまった疑問・悩みこそ、
大切にしていくべきなのではないかとね、

そういう悩みから、
“自分”についてのまなびが始まるんだろうなーってね、

そんなことを考えているよっていうお話でした。
私が最初に書いたブログの補足みたいな内容になったかもしれない。
(→一応貼っとくとこちらです。)

 

まあだからと言って、疑問が疑問のままでは成長できないので、
哲学についての本をもうちょっと読んでいこうという決意表明をして、
今回の私のお話はおしまいです。
さいなら!


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