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『アメリカの挨拶』


『アメリカの挨拶』
松延壮

カリフォルニアに来て3週間が経った。

僕が通っている語学学校では、生徒の多くがのちにカレッジに進むことから、授業でエッセイの構成や、論文からの引用の際のルールについてが取り扱われている。平日は毎日、中々の量の課題をこなしながら、語学力とカレッジの授業に必要な知識を同時に身につけているところだ。

週末も課題はあるが、これまでに数回、友人と遊びに出掛けた。しかし車を持っていない人間には移動がとても不便で、バスは本数が少なく、大抵長時間待たねばならない。仕方がないから自転車を購入したものの、幅が広く、街灯の少ないカリフォルニアの道路は、夜走るには危険極まりない。先日も、夜10時頃に自転車を漕いでいるといつの間にか広い荒れ地みたいなところに迷い込んでおり、体が暗闇に囲まれた。進むうちにだんだん怖くなってきて、大声で炭坑節を歌うなどした。月が出た。

さて、ここからは、最近気になっているアメリカの挨拶の特徴について書きたいと思う。日本にいてもなんとなく想像できるだろうけれど、こちらでは頻繁に他人と声を交わす。路上の警官、ハンバーガー屋の店員、スーパーのレジ係までもが、質問形式で挨拶をしてくる。よく聞くのは、”How are you doing?”や”How are you?”だ。言われた方は”Fine, thanks.”など、短く返答する。会話を発展させるわけではなく、それ自体に内容はないように見えるが、もはやレジでは会計作業の一環として、やりとりが組み込まれている。中学で習った”Good morning(afternoon).”は、あまり耳にしない。

日本の挨拶はどうだろう。そもそも知らない人に声を掛ける機会自体が少ないが、店員や建物の受付などの、「いらっしゃいませ」や「お疲れ様です」などが挙げられる。思い返してみれば、それらは片方による投げかけで、言われた方は軽く頭を下げたり、何も言わず立ち去ることが多かった。このとき、片方が声をかければそれで内容が完結している。

アメリカの会話式の挨拶には、どんな働きがあるのだろうか。今の所2つ考えられる。

1つは、相手の人となりを判断する基準としての働き。僕は度々返答するのに手間取って、二度見されたり嫌そうな顔をされたりする。このように、上記の短い会話では、相手が外国人かそうでないか、程度の判断は出来る。その判断が何の役に立つかはここでは置いておく。
2つ目は、相手の状態を確かめる働き。ただ、ホストファミリーに訊いたところ、現地の人は基本的にgoodかfineで応対するそうなので、尋ねる側は相手の具体的な状態を知りたい訳ではないだろう。せいぜい最低限、相手が順調であることが確かめられるくらいだ。

日米の挨拶の異なる背景に何があるのかは、まだ明らかに出来ないと思う。しかし両国の大きな差異である、民族の数の違いは関わっているのではないかと思う。例えば2008年から2010年の調査によると、ロサンゼルスの人口の35%は移民で、その20%が2000年以降に移入している。移民も世界中の様々な地域の出身者で構成されており、多様な人種が一つの地域に暮らし、しかも流入がある。このような社会では、短い会話によって外国人かどうかを判断することが、何らかの意味をもつのではないかと推測する。

話は宙ぶらりんだが、進められないのでここで終わりとする。


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