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成長の可視化とアメリカの夏祭り


成長の可視化とアメリカの夏祭り
松延壮

ちょうど昨日、7週間の語学学校の課程を修了した。授業は、リーディングなどの読み書きの部が午前に3時間、スピーキングやリスニングの部が午後に2〜3時間という構成で、それに加えて、必ず翌日までの宿題が出された。特に、長文を読んだり、自分で文章を書いたりするような宿題が膨大で、全てこなそうとしたために体を壊す友人もいた。僕はなるべく関心のあるテーマを選んで書く、など工夫はしたけれど、授業についていくのは大変だった。ただ、今振り返ってみると、語彙など細かな知識のみならず、ペーパーの構成、資料の引用の仕方など、諸々の基礎的な形式を身につけることができた。また、1分間に読める単語の量は徐々に増えた。

今回のプログラムを通して、主にリーディングとライティングの力が伸びたことがはっきりと分かる。それは、授業内で演習をする度に、その結果を記録する時間が設けられていたからだ。自分の成長を見えるようにすることは、努力に価値を与え、続けていく上で大きな意味があると感じた。受験勉強する人にとって、もしかするとこれは当然だったのかもしれないけど、僕はあまり意識しなかった。成長を可視化すれば、無力感のせいで停滞する、なんてことを少なくできると思う。

この間、友人たちと、アメリカの夏祭りみたいなものに参加した。出店がぎっしり立ちならんで、夜11時になっても大盛況だった。店を回ったりゲームに参加したりするのは楽しかったが、僕はそれとは別に、携帯で写真を撮ることも楽しんだ。それも、景色ではなく、友人たちばかりを撮っていた。撮った写真をその場で見直し、少しでもいい、と思えるものがあると嬉しかった。数日経ってから見返してみて、新たに魅力を見出すこともあった。今回ブログを書くにあたって、再び写真について考えようと思う。

僕が祭りで撮ったような写真は、日常のなかのひと場面を記録する。それは、あとで見返せば、当時の記憶を呼び起こす助けになることもあるだろう。僕は以前は、写真の働きをそういうものだけだと捉えていて、写真自体にそこまで興味を覚えなかった。ただ、最近は少し違う。もっと、写真が単体でもつ力、みたいなものに焦点を当てている気がする。普段の視界が捉える像の、一瞬間が抜き取られたものを、眺め回し、表情や構図をみたり、写っていないところを勝手に想像したりしている。そういった要素に注目するとき、写真が実際のところどんな場面で撮られたのかは、あまり関係がない。文脈から、切り離されても生きている写真がある。展示会になんとなく行ったのがきっかけで、新たな視点を得てから、鑑賞をある程度楽しめるようになった。今後は、もっと自分で撮っていこうと思う。

 

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松延壮『写真に覚えた魅力について』http://with-u.educiao.com/2018_06_06 もあわせてどうぞ。


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