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はなしのはなし。


はなしのはなし。
荒木ゆうか

今年の夏は、読書の夏。
毎日予定に追われていた昨年の夏と比べて、
随分のんびりとした夏を過ごしています、荒木です。

ただ、のんびり過ごすだけでは、せっかくの夏休みをもったいなく感じてしまいそうなため、
いつもは読みっぱなしの本に、1つずつ、感想を書くことにしました。
すると、いつの間にか、自分の読むときの癖が浮き彫りになってきて。
本の内容を思い出すためではなく、この本と自分はどう向き合ったのかを知るために、
感想を言語化するってとても大事だなと感じました。

今回は、この夏読んだ本の中の1冊、『羊と鋼の森』を読んで考えたことを軸に、
さまざまな本との向き合い方を織り交ぜながら、記していきたいと思います。

『羊と鋼の森』(宮下奈都)

  本屋大賞を受賞し、映画化もされているこの作品。
  数年前に母が読んでいたため、簡単なあらすじは知っていたものの、
  宮下奈都さんの作品を読むのはこれが初めてでした。
  とても言葉の選び方にこだわる方だなと感じました。
  ずっとこんな小説を書いてきたのかな、と。
  他の作品も読んでみたいと思います。

「本当に伝えたいことを誰かに託すとしたら、誰に託していたのだろう。」

作中には、たくさんの登場人物がいて、たくさんの言葉が出てきて、たくさんの思いが見えます。
しかし、著者が読者に伝えたい思いを、誰に託しているのかが見えない。
託しているのは、その誰でもなく、そのすべてのような、そんな「小説」って素敵だなと思わせてくれる小説でした。

と、いうのが、読み終えた直後の私の感想の一部。
うまく言語化できないので、話を先に進めます。

翌日、たまたま天神の本屋さんに行くと、『羊と鋼の森』の映画の予告が流れていました。

昨日の今日。読んだばかりだったので、台詞もほとんど覚えていて。
「あっ、この台詞、あそこのシーンだ。」って。

それと同時に、
「え、ここ、そんなに大事な台詞だったの?」と思うことも。

小説だと、著者(もしくは製作者)の思惑通りにならない場合があるのが面白いなと思いました。
「ここ大事」とか、「こんなこと伝えたいよ!」って思って書かれても多分面白くないし、
だからといって、伝えたいことがなかったら、多分話は進まなくて。
ある種のかけをしないと物語は伝えられないのではないかなと感じました。
なるべく多角的に、複眼的に物事を伝えようとするけれど、
決してそのものを伝えてはならないし、取り立てて強調してもならない。
あくまで平然と並ばせないといけない。

作者が伝えたい文が、太字なわけでもなく、傍線がひかれているわけでもなく、
ひとりひとりが自分の思うままに読み流したり、勝手に深く読める。

そうなったときに、私は、「世界」を伝える小説が好きだなと思いました。
「何か」を伝えようとされると、綺麗事ばかりな気がして、
ひしひしと著者の思惑が伝わってきて、読んでいて苦しくなる。
けれど、世界を伝えてくれたら、その世界にただ溺れるだけでいい。

「怖がらせよう」と思ってホラーを書くのではなくて、
「どうしよう、主人公こんなことしだしたよ、危険じゃない?何か起きそう?どうする?」みたいな感じで来てほしいなあと。
ホラー嫌いなんですけどね。

 

あまり多くのことを書きすぎると、またまた長いって怒られてしまうので、
この辺にしておきますが、最後に1つ質問です。

「あなたは小説を誰目線で読んでいますか?」
最近、本を読み終える度に意識していることです。たぶん、私の読み方の癖のひとつ。
自分の立場を明確にしたがる。
夏休み初日、島本理生さんの『ナラタージュ』を読み、
「主人公の気持ちになって答えなさい」という国語の問題に疑問を持ちました。
主人公だけでなく、周りの人の気持ちも痛いほど届いてくるのに、って。
そうなったときに、私はどの立場で、誰の目線で小説を読んでいるのかな、と。
ちなみに、私は、わたしなりにこの答えを見つけたのですが、
みなさんも考えてみてほしいし、教えてほしいです。

 

私の好きな著者が処女作を書いたのは、高校1年生の夏でした。
夏になるたびに、この事実を思い出し、「はーっ」となります。
今年の夏こそは、何か、、、といつも思っている気がする。
大学生の夏休みというものは、ありがたいことに、あと1ヵ月と少しあります。
のんびり、だけではない夏にします。


今年の4月に、「本」に関するプレゼンをしました。
かえる会です。
YouTubeにあがっているので、お時間がある方は、ぜひ。
(「4月といえば?」の本紹介から始まっています、恥ずかしい)


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