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多様性について考えてみたよ


多様性について考えてみたよ
田中茜里

こんにちは、田中です。
今日から10月。長い長い夏休みも終わりを告げます。
長すぎて全然惜しむ気持ちにならない、というのは贅沢ですね。(煽りではない)

なんてったって、2か月もありましたからね。
何か成し遂げられたでしょうか?
何か得るものはあったでしょうか?
何か新たな挑戦はできたでしょうか?
…特大ブーメランが飛んでくるので止めておきましょう。
心が死んでしまう。

 

さて、今回は多様性なるものについて考えてみようと思います。

多様性…
この言葉を聞いて私が一番に思い浮かべるのは、
“性の多様性”ですね。

 

私は、自分の性別に特に興味もない人間でして、
「男らしさ」「女らしさ」に固執することもなく生きています。
まあ今時それらが指針とならないお方もたくさんいらっしゃるでしょうし、
珍しいことではないと思うのですが。

だから、性の多様性とか言われても
あ、そう……好きに生きればいいやん…
くらいにしか思いません。
要はまあ、自分含めどうでもいい。

 

でもSNSとか某知恵袋とか眺めていると、
いろんな方がいらっしゃいますね。
同性を好きになってしまったと悩んでいる方、
自分の性別を定められない方、
男と女以外の恋愛の形を受け入れがたいと思っている方…などなど。

その中でも私が気になるのが
「好きになるのは普通のこと。その相手が同性だっただけ。」
みたいな主張です。

ちらほら見かけるんですけど、
うーーーん…普通ではなくないか?
と、思っちゃうんですよね。
だって多くの人にとっては異性を好きになるのが“普通”なわけであって、
その性別が違うというのはだいぶ大きなことなのではないのかと…。

まあ普通の基準なんてみんな違うわけで、
ここで問題なのは、
普通でないといけないのかなぁ???
ということでございますよ。

もっかい言うけど普通の基準はみんな違うので、
新たに知ってしまったことが自分にとっての普通ではなかったとしても、
そんな考えもあるんかと遠巻きに見るくらいでいいのではないのかと。
気を遣って寄り添う必要も、
理解してくれるように説得する必要もないのではないだろうかと。
多様性ってこういうことでしょつまり。
と、私は思っています。

 

でもこの多様性について考えるときに毎回疑問に思うのは、
「多様性を認めない」または「認められないが故に攻撃をしてしまう」
という多様性は認められるべきなのだろうか…
ということです。
これがよくわかんない。
だってこれを認めちゃったら、皆好き勝手していいことになりません?
でもこれを認めなかったら、ある人の意見を潰しているということになるじゃないですか。
それは「多様性」に反する。気がする。

これに関してもまたちらほら見かける気になる主張があって、
「自分が同性を好きと言うのは自分の自由なんだから、
ぐちゃぐちゃ外野が言わないでほしい」

ほうなるほど。確かに。
じゃあ、同性を好きになる人を嫌いだと言うのも自由ではなかろうか…
と思ってしまうんですよね。
でもこれは何か認めたくない。(感情論)

めっちゃ唐突ですけど、フランス革命の時の人権宣言では、
「自由とは、他人を傷つけない全てのことを成し得ることである」
らしいので、嫌いって言うのは人を傷つけるからなんか嫌なのかな。
(なぜここでフランス革命なのかというと、以前のブログで少し書いたミュージカル『1789~バスティーユの恋人たち~』の熱にまだ浮かされているからです)

…とまあごちゃごちゃと申しましたが、
正直ネット上でふんふふーんと眺めているだけなので、
完全部外者の私がもちゃもちゃいうのも変ですね。

 

さあまとめだ。
お付き合いいただいてありがとうございます。

今回は私、ネット上で何となくよく見かける気がするお話ばかり取り上げてみました。

得られる情報が多すぎるこの時代。
知らないはずの出来事に触れる機会も多くあります。
でも、何度も繰り返し触れる度に
見た気になって、
聞いた気になって、
経験した気になる。

自分が本当に体験したことと、ただ眺めただけのことの違いが曖昧になっちゃう。
あるあるネタとかその最たる例だと考えています。

別に当事者だけが語るべきだとは思いません。
それ言っちゃうと世の中の沢山の人が口をつぐまないといけなくなるし。

でも、体験していないということは忘れちゃいけない。
目の前のことと、大勢いるであろうどこかの誰かさんを混同しちゃいけない。

とりあえず、大衆について語るのは専門家に任せて、
噂ははいはいと聞き流しといて、
目の前のことをどうするか?について考えていきたいなぁと思っている田中です。

 

…ただここの文章で一つ問題なのが、
「大勢いるであろう見ただけのことと現実をごちゃ混ぜにしちゃってる人」という、
会ったこともない人が存在しているのを前提に書いていることですね。
言い出しっぺがきちんとできていないパターン。てへっ!

 

とりあえず…
とてもわずかな側面しか見られない人よりも、
目の前の人と話してその人のことを知る。
それが、“多様性”について考える第一歩になるのではないだろうかと。

無難な感じにまとめて終わりますね。
それでは、また次回。


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