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「言語の可能性を探求する」


「言語の可能性を探求する」
叶 彩花

こんばんは。叶です。何とか風邪を治し、前回よりもちょーーーっとだけ落ち着きました。
そろそろ買って放置したまんまのゲームに取り組みたいです。

さてさて、この間11月3日に意味の学校というワークショップに参加してきました。
テーマはタイトルのとおり、「言語の可能性を探求する」です。

「こくごの学び舎 ココの芽」という小学生6年生までを教える国語塾を主宰している木村麻実さんが話題提供者としていらっしゃり、塾で行っている授業を実際に体験することができました。
今回はそこで感じた事を書こうかなーと思います。

授業では漢字の成り立ちを、絵を使いながら教えてもらったり、漢字の部首とつくりを組み合わせて何個感じが作れるかを競ったりしました。小学生の頃に戻った感じで素直に楽しかったです。最近文字を書いたりすることも少ないので、漢字が結構分からなかったりして書かないとこんなに忘れちゃうんだなーとしんみり思ったり。
その後の対話で、小学校の国語教育の話になりました。宿題で漢字をたくさん書かせて覚えさせるよりも、授業の中で楽しみながら漢字について学んでもらった方が、自主的に子どもたちは漢字を覚えようとするし、記憶にも残りやすい。そういう授業が受けたかったという中学生の声も聞きました。学習指導要領も新しく変わるようですし、楽しみながら学べる授業になっていくといいなと思います。

少し話が変わるんですけど、ワークショップの終わりに面白い話が聞けました。
日本語で、「居場所がない」って言いますよね?
実は別の言語で「居場所がない」という言葉を調べると、国の文化の違いが見えてきます。英語で「居場所がない」というのは「I don’t feel comfortable in the place.」と訳すそうで、私はこの場所に快適さを感じないという所が、別の場所にも居場所がある、というような文脈を感じますよね。日本ではなかなか、居場所がないというとかるーい絶望感感じたりしますけど、「ここ」は心地よく感じないってところが良いですよね。フランス語ではそもそも「居場所」という言葉がないそうです。面白い。
何か悩んでる時に悩みを別の言語で言ってみるとどんな翻訳がされるのか、調べてみると色んな価値観、考え方を知れて気が楽になったりするのかもしれません。

話が散らばってますが、最後にもう一つ。帰り際、バスを待っている途中に参加者の方の一人と話をしていたのですが、その方は昔から国語のテストで点数が取れず、文系に向いてないと思いこんで理系に進んだそうです。しかし、大人になってから友人に文章の書き方が独特であるという指摘を受けたそうです。そこでその方は自分が文系に向いていなかったのではなく、文章の作り方の時点で先生が求める書き方と自分の書き方にずれが生じていたことに気付いたそうです。
その話を聞いて思ったことは、少し話がずれているのかもしれませんが、今の社会では正しい言葉、正しい文章、出来るだけ短く分かりやすいものが求められますよね。何かそれって、効率とかを考えると確かにそっちの方が良いとされるけれども、それ以上のものはないというか。むしろ誤解を生むような表現であったり、独特な言葉の使い方の方が、手間をかけて相手に伝えることが出来るんじゃないか、より言葉に深みが増すんじゃないかなと思いました。
昔は和歌など、短い言葉の中で多くの意味を含んだ文章が多かったのに、今では多くの言葉を尽くしても結局伝えたいことは短いなんてことがあるのかなあと思いました。それは、今まで日本という小さい島でハイコンテクスト文化が成り立っていて、だから短い文章で色んなことを共有することが出来たのかもしれません。ただ、言葉の一つ一つ含む意味が少なくなってしまっていると思うとなんとも言えない気持ちになります。

 

まとまりのない文章でしたが、以上が意味の学校に参加しての感想でした。

とても面白く、ゆったりと対話することが出来る良い場所なので、ぜひ参加してみてください。

今回も閲覧ありがとうございました!


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