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例えば国語における正解は教育における正解なのか。


こんにちは!
WITH-Ü代表の伊央です。

さて、僕はいま、中学生向けの塾でアルバイトをしています。
今回はそこで感じたことを綴っていきたいと思います。
お時間のある方はお付き合いください。

 


塾でアルバイトをしていると、
・ワークを解くときに答えを写している子
・解き終わっていないのに、「先生これ合ってますか?」と聞いてくる子
・単語テストの直前になって答えを暗記している子
がたくさんいます。
というか、ほとんどの生徒はどれかに当てはまります。

 

とにかく、正答を求めたがる。
(以後、上のような傾向を、「正答を求める」と表現します)

単なる経験則にすぎませんが、下のように学力との相関もあるような気がしています。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。
個人的には、大きく2つ、要因があると感じています。(もっとあるとは思います)

 

①理想と現実の乖離

正答を求めがちな生徒は、学習へのモチベーションが高いことが多いです。
当然、周囲の期待は高まり、自分自身も「いけるんじゃないか」と思います。

ただ、がんばっているのに、思ったより成績が伸びないことも多い。
その乖離を自分の中で正当化することができないため、
「正答を求める」ことで、アウトプットされるテスト結果に対する保証と安心感を得ているのです。

②正答を求める教育

学校という環境も、長い時間をかけて生徒に正答を求める態度を育てます。

それはテスト、あるいは授業中の発言・発表という形で現れます。
テストで悪い点を取る恐怖、発言・発表してクラスメイトから「ちがいまーす」と言われる恐怖。
それらを感じ取ってきたからこそ、安全な正答を求めたがるのでしょう。

最近少し界隈では話題になっていますが、国語における小説の読解でも、
「主人公の気持ちを答えなさい」「筆者の意図を答えなさい」といった問題が多く出題されます。
「あなたが主人公だったらどう思いますか」は聞かれません。
あらかじめ想定された正答があって、それに適応できる生徒は◯、そうでなければ×。

そこには、インプットとアウトプットしかありません。
大量に詰め込んだ「正答」を吐き出す場としてのテスト。

しかし、「学び」とは本来、
インプットした知識を自分のものにする「スループット」にこそ、あるのではないでしょうか。

 


WITH-Üでは、そのような「学び」を広げる活動をおこなっています。
12月02日には、「なぜ勉強するのか」をテーマとした【WICK PROJECT vol.01】を、
12月16日には、「大学受験」をテーマとした【ぷれぜんと2018】を開催します。
ご興味のある方はこのブログの最下部をチェック!

それでは、また再来週お会いしましょう!
Auf Wiedersehen!

 

【WITH-Ü今後の予定】

12月16日:ぷれぜんと

HP:http://with-u.educiao.com/present_2018
Facebookページ:https://www.facebook.com/events/746639899026891/
申し込みフォーム:https://goo.gl/forms/ipWlE0hsuD2mFCqR2

 


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