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死。


死。
熊野佑紀

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
どうもどうもご無沙汰しております。熊野でございます。
前々から、ブログのタイトル見ただけで誰が書いたか分かるようにしたいなぁと思ってたんですけど、前回の「文。」みたいな形が割りかし気に入ったので、今後は「〇。」という形式のタイトルにしたいと思います。

「〇。」というタイトルは熊野です。是非読んでみてください。
はい、どうでもいいですね笑。

さて、本題に入りましょうか。
今回は「死。」。
少し重いテーマではありますが、タイトル通り、死について考えていきたいと思います。

なんでまた急にそんなことを書き出したかといいますと、丁度昨日、生命倫理を題材に模擬授業をしたんですね。それで復習するうちに自身の死生観を見つめなおしてみたくなったというわけです。
模擬授業の詳細も書きたいところですが今回は割愛します。

まず一つ質問します。
「皆さんは今、死に直面していますか?」
これを見た人の多くが「いやいや、病気もしてないし、まだ若いし、死なんてまだまだ先のことですよ。」というような思いを抱くかなと思います。

僕も実際そう思います。

ただ、先の問いに対する答えとしては、「誰しも、いつも死に直面している」というのが正しいでしょう。

―死は過不足なくすべての人に平等に訪れる―
おそらくすべての人が自明のことと理解していることのはずなのに、多くは意識することなく生きている。
今日死ぬかもしれないのに。

「そんな後ろ向きなこと考えてたら楽しく生きれないよ。俺はもっとやりたいことをやって過ごすんだ!」

本当にそうでしょうか。むしろ、死を傍らに意識することで、楽しく、幸せに、自分のやりたいことをやって生きられるのではないでしょうか。

というわけで、ちょっと想像してみてください。

―あなたは今日死にます-

どうでしょう。何が消え、何が残りましたか。
今日これからやろうとしていたことは、人生最後の日である「今日」もやりたいと思えることでしたか。今まで生きてきた人生にまだ間に合う後悔はありませんでしたか。

きっとほとんどのものが不要なものとなり、本当に大切なものだけが残ったはずです。
きっと今までの後悔が浮き彫りになったはずです。

もちろんこれは仮定の話なので、今日死ぬとしたらやりたくないことも実際にはやらないといけない場合が多いでしょう。

ただ取捨選択はできるようになると思います。楽しくて、やりたくてやってる無駄なことはいいと思います。(ゲームとか漫画とかね)でも、やりがいを感じられない苦痛な、その上やる必要もないようなものだったり、自分が一番に価値を見出せる核的なものを阻害するものは思い切って切っちゃいましょうよ。

申し訳ない?怒られるかも?プライドがある?
今日死んじゃうんですよ?

少しむかつく書き方をしてしまいましたね。申し訳ありません。
でも、そんなことを言われても色々理由を並べて、即座に切り捨てたい、という結論に至らないならば、それはきっとやりたくないながらも何かしらのやりがいや価値を感じているということでしょう。なので「これに対するやりがいってなんだったっけなー」って考え直してみてください。

とにかく、何が言いたいかというと
―死を意識するということは今を全力で生きることである―
ということです。

毎日朝、「今日死ぬとしても、これだけはやっておきたいなぁ。」と目標を決めて一日過ごし、
寝る前に「よし、今日も生きてたぞ。明日は何をして生きよう。」というような具合に生きていけたら、きっと後悔せず人生を全うできるんじゃないかなと思います。

というわけで、皆さん、今日も張り切って生きましょー!!!!


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