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「評価」


「評価」
叶 彩花

あけましておめでとうございます。叶です。
平成最後の(とよく言いますが…)正月はどうでしたでしょうか?
叶はですね、いろいろ本読んだり授業の復習するぞーと意気込んでいたのですが、忙しくて進められてなかったゲームをやっていたら時間が溶けました。つらいです。なんでゲームってあんなに時間溶けるの早いんですかね…。

さて、今回は正月と何も関係ないですが、評価の話をしようかなーと思います。

この間、友人を2人引き連れ意味の学校(※ワークショップ)に行きまして、これから何年後、何十年後かには評価の形式が自己評価中心に変わってくるだろう、というようなお話を聞いてきました。
今も何かそれっぽいやつありますよね。授業での自分の様子を自己評価して、それを先生がみて、評価をつけるっていう。
私も何回かそういう感じの評価の仕方の授業を受けたことがありますが、何と言えばいいか、やってみると(個人的には)複雑な感じなんですよね…。
というのも、理由はいくつかあるんですが、まずは人によって(嘘無く素直にという意味で)真面目につける子とそうじゃない子がいますよね。誰だって基本的には良い評価が欲しいと思います。成績が良いと良い印象持ってもらいやすいし、三者面談の時に親の横でヒヤヒヤしなくていいし、何より受験に影響するし。授業で怠けてても、自己評価で良い評定がもらえるなら楽ですよね。たとえ先生が自己評価を見てそれをさらに評価するというものでも、まったく自己評価が反映されないということはないでしょうし。その中で、自分の授業の態度とか積極性とかをしっかり振り返ってその通りに自分を評価する子と、適当に授業を受けて適当に評価を付ける子をどうまた評価するのかって難しいですよね。

そもそも、先生が生徒のことをきちんと評価できるのかとかいう問題があったり、評価の基準も見直す必要があるかもしれなかったり。

意味の学校では、評価の方法も色々あって、実は私たちが知っている評価方法はほんの少しだということと、よりよい評価方法は既存のものだけではなく、これから考えていく必要があるというような感じで話をしました。
あと、日本語の「評価する」というのと、英語の「evaluate」はニュアンスが違うね、っていう話もしたり。
評価というものの意義・重要性が何となくわかったような感じがします。

 

ただ、私自身、評価っているのかなぁとか思ってたりして、よく分からないモヤモヤがあります。評価されない人になるかもしれない恐怖もあるから、ですかね。評価なんて概念がなくて、その場にいるという事実だけがすべて、みたいな世界だといいのになぁとか、そこに住みたいなぁとか思ったり。というか正直に言うと、ただ堕落した生活が認められて、そんな環境で生きたいとか思ってるだけなんですけどね。なかなか難しいです。

 

という感じで今回は終わります。
しょっぱなからだらけた発言をしてますが、今年も一年それなりに頑張りたいですね。
閲覧ありがとうございました。


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