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どうやらここは譲れない


どうやらここは譲れない

皆さんこんにちは、田中です。
今日で3月も終了ですね。
明日から4月。

新生活、新学年等の期待に胸を膨らませていることでしょう。
不安だったりもするのかな?

まあそんなことはおいといて。
今回は自分の譲れない部分について話していきたい。

こないだ田中かえる会しました。
表現の自由について考えよう!という内容でした。
そこで、田中は表現の自由を守るために(みんなと話す中でこの「守る」という言葉についてもいろいろ話したわけですが、そこは置いておく)何が出来るのか?という解決策として、
「授業でポスターなり新聞なりを作るとき、
情報収集するのと同じくらいの時間、情報を選び、捨て、自分にとって都合のいい情報だけを並べる時間を取る」
というようなプランを提案しました。
結局どんな人も…ここで言うどんな人って言うのは、マスコミとか悪口を言う人とか本当にどんな人も…辻褄の合った情報を提示するために、ある程度自分なりのストーリーに基づいて自分の持つ情報を選別しているのだ、ということを実感できるんじゃないかなと思ったからです。

これ、よく考えたら、私が最初にこのWITH-Üのブログで描いたことと同じこと言ってるな、とふと気づいたんですよね。ブログのネタを探しているときに。

自己紹介するのに自分に関する情報がたくさんあるのに、それをちょっと考えただけで紹介しようなんてできるわけないだろこのやろーという話でした。
つまり、今の私の考えに当てはめると、19年生きて来た自分、それを紹介するために必要な時間は19年…ということになりますね。

 

正直、私はしばらくこの最初のブログのことは忘れていました。

でも、情報を集めるのと同じくらい捨てたりする時間を取らなきゃいけない、というのはこの大学生活で何度も直面した考えです。
新発見だと思っていたものが、もともとなんとなく気づいていたものだった、ということに拍子抜けしちゃったんですよね~。

まなぶことって、自分で道を切り開いて新たな発見をしていくものだと思っていたけど、自分でなんとなく作っていた道を舗装することでも新たな発見のような興奮は生まれるのかな、とか思ったりしました。

そんな風に舗装された道が、自分にとって誇りの持てるもの、譲れないもの、折れない芯、アイデンティティーになったりするんでしょうか。
「自分」について悩んでいるのは相変わらずです。
それも、私の「譲れないもの」???

皆さんにもあります?
この1年、気づいたら戻ってきてた、そんな道。
たまにはそこをぷらぷらして、自分の譲れないものにどっぷりつかってみるのもありなのではないかな。

そんなことを考えた、春の心地よい日。
嘘です。まだ寒い部屋の中で考えてます。
マジでちょうどいい温度を保っといてくれないかしら…。

それでは、失礼します。


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