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歴史と「歴史」




歴史と「歴史」
筒井優菜

みなさんこんばんは。
平成最後の夜いかがお過ごしですか?

うぃずゆーでは、R-1を飲むという儀式が遂行されるようです。(代表さんのTwitter参照)

筒井はただいま大阪から愛媛に向かう船のなかです🚢

2泊5日の一人旅。
明日には九州に入れそうです。

最近旅の話ばっかり書いてるけど、今回も旅の話を。

筒井は一晩、嵯峨嵐山に泊まりました。

嵐山と言えば…?

小倉山、紅葉、時雨殿、二尊院などなど

ここでピンときたかたは、筒井ととても気が合いそうです。

そう、嵐山付近は和歌のゆかりの地がむちゃんこ多い!
特に、小倉百人一首といわれる藤原定家が撰んだとされる和歌集(?)のゆかりの地がたくさん。

筒井はもう、たまらーんって感じです。

さらに、百人一首ファンにとってはたまらない建物があります。

「嵯峨嵐山文華館」

藤原定家にまつわる展示を中心とした百人一首ミュージアムです!!

もう語り出すと止まらないので、中身に関する記述は避けますが

展示物のなかに、百人一首成立前から現代までの歴史を振り返るものがありました。

藤原定家が親戚に頼まれて和歌を撰んだこと。

そして、室町時代ごろに百人一首が注目され始めたこと。

などなど。

ずーっと、通路を進むごとに歴史が進んでいくわけですが、
筒井が衝撃を受けたのが現代パート。

『ちはやふる』
が展示してありました。

平成に入って作られた競技かるたを題材にした青春漫画です。読んでない人は是非是非(と、いいつつ筒井も全巻は読んでない)。

当たり前だけど、歴史資料として飾られてたのが衝撃でした。

私が想像する歴史資料は、よくわかんないお偉いさんが作らせた兜だとか、目で見ることのできない縄文時代の暮らしだとか、そんな感じ。

『ちはやふる』が生まれたのをリアルタイムで見ていて、それが歴史の一部として認められているのを目撃して、なんとも言えない気持ちになりました。

「歴史」としてふさわしいものとはなにか。

これは、筒井が高校生から疑問に思っている題です。

「歴史」が存在するためには、誰かが「歴史」を定義して残していく必要がある。

それは、「正しい日本語」が現代国語辞典に追加されていくのと一緒。

じゃあ、それは誰が決めるんだろう?

歴史は勝者の歴史と、よく言われますが。

『ちはやふる』が「歴史」に認められる過程における勝者と敗者はなんなんだろう。

そもそも、百人一首が現存しているって時点で、百人一首は歴史上における勝者なのでしょうが。

なんで、こんなどーでも良いことを考えているかというと、「歴史」の学習が義務教育のなかに組み込まれているから。

ひとつの解釈として、筒井は教育を、国家の秩序を保つために必要最低限の国民性を育む場だと考えてます。
もちろん、他の側面も大いにあるけど、
いわゆる小中学校までの義務教育は、国家的に「いい」人材を育むためにあるのでは?といった具合に。

その中の教育のひとつに、「歴史」があって、本当は連続性を持っているはずの歴史が断片的に解釈され、教科書に載る。

そして、あたかもそれが歴史であるかのように、教えられる。

そう思うと、ちょっと怖いです。

国家に有益な歴史として認められなければ、消し去られてしまうかもしれない、もしくはもう既に消し去られてしまったものもあるのかもしれない。

今が未来のうちに、ちゃんと残すものを考えることも大事だなと思いました。(なんか、BUMPみたいになった)

明日は、改元の日。
きっと、「歴史」として刻まれる。

明日が楽しみです。

すっごく長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!


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