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食わず嫌いのはなし。


食わず嫌いのはなし。 荒木ゆうか

今日は、7月5日。 平成29年7月九州北部豪雨から、ちょうど2年です。当時私は大学1年生で、テレビもない寮で、インターネットからふるさとが孤立をしているという情報を得て、心配をしていたのを覚えています。正直そのときは、あまり実感がありませんでした。一番衝撃を受けたのは、被災後初めて村を訪れた際、いつも当たり前に目にしていた光景が存在していなかったことでした。 村のはなしは、ブログの中でも何度かしてきました。私の原点ともなった、小学生時代のはなしです。あと、ブログを書くことも僅かになってきましたし、中学高校生時代のはなしを書こうかなと思っています。3代メンバーの自己紹介ブログに感化された、というのも一つの理由です。 山村留学生の受け入れは、小学生が対象でした。 さらに、私が卒業すると同時に小学校の閉校が決まっており、山村留学自体も終了することが決まっていました。 必然的に、東峰村にはさよならをしなければならなくなりました。 そこで、通常であれば、山村留学以前に通っていた校区の中学校に通うことになるのですが、 校区の中学校に進学するのが1つの小学校からだったので、 「(山村留学のために)転校したのに、戻るのも恥ずかしいな」と思い、県立の中高一貫校を受験することにしました。 兄が通っており、負けず嫌いの血が騒いだというのもあります。しかし、特に、受験勉強もせずに受験をしました。 兄が受かったから私も受かるだろうと思っていた節と、適性検査と作文と集団面接だったら何とかなるだろうと思っていたことが理由です。 2011年1月のことです。その日は、百人一首の名人戦・クイーン戦があっており、受験会場である学校まで送ってくれた父の車の中で、ラジオでクイーン戦の動向を聞いていたことを思い出します。 中高時代は、さまざまな活動をさせてもらいました。 市や県の友好大使としてタイや中国での行事に参加をさせていただいたり、 乙一さんや朝井リョウさん、江國香織さんなど、好きな作家さんに会いに行ったり、 「知の創造塾」や「リサーチトライアル」などの大学主催のプログラムに参加をしたことも印象的です。 委員会活動で、地区の読書会などに参加をしたこともありました。 こんなことを言っては、先生方に怒られそうですが、どれも、あまりハイレベルな中高ではなかったからできたことだったのかなと思います。 朝井リョウさんを招いた読書会は、テスト1週間前で、担任の先生に「テストあるけどどうしよう」と相談したら「会えることのほうが滅多にないけん大切やろ」と返されたのを覚えています。 読書会に参加をしたりと、あまり一生懸命勉強をしていなかったのですが、 成績は体育以外5をとるような生徒でした。(いわゆる、そういう人です) 進学校とはテストのレベルもきっと違うのですが、 予習・復習、授業中、テスト勉強、さえしていたら楽しくいい成績をとれるような学校だったので、 塾の必要性もまったく感じていませんでした。むしろ、学びの楽しさを奪うものだと嫌悪感を抱いていたくらい。 中高一貫校なので、高校受験もありませんでしたし、切羽詰まって勉強をする機会がなかった、というのが正直なところかもしれません。 大学進学についても、それほど熱をもっておらず、就職する友人も一定数いたので、就職も視野に入れて考えていました。 大学受験には、ある種博打のようなところがありました。 第一志望は、教員養成系ではない教育学部、 第二志望は、初等教育教員養成の教育学部、 第三志望は、(好きなキャラクターの会社に就職するために)商学部、だったような気がします。 受かったところに縁があるんだろうから、そこで勉強すればいい、という考えでした。 学校の名誉のために言っておきますが、適切な進路指導やキャリア教育が行われていなかったわけではなく、 ただ、そこまで自分のことを決定する勇気がなかった、というわけです。 結局、第一志望に行きたい欲が強くなったので、 チャンスを1回でも増やすことにし、AO入試を受ける決意をしました。 戻れるならAOは受けたくないと思うほど、精神的にきつかったです。 毎日赤色でびっしりになった小論文を担任に返され、課外の後の眠たい目を擦りながら文章を読み、800字~2000字の小論文を毎日書いていたあの頃の自分を、今レポートでひーひー言ってしまっている自分は見習わないとなと思っています。 一番きつかったのは、AO入試の結果が出るのがセンター試験の3週間前だったことでしょうか。初めてリスニングの機械を用いて行われたセンター試験模試を欠席してまで2次試験の受験に行かなければならなかったことを今でも覚えています。(別日程で模試は受けた気がしますが) ちなみに、AO1次試験は誕生日当日でした。 合格体験記に「AO入試は軽率に受けるな」と書くほど後悔している選択のひとつでしたが、小論文とプレゼンテーションというのは、自己表現の方法として、自分にとてもあっていたなあと、就活対策の時事問題やTOEICの勉強をしながら感じています。 進路が決まったあとも、課外に行き、みんなで国公立の前期対策をしていたのはいい思い出です。2次の国語の受講生は学年で4人しかいなかったのですが、ね。 中高のはなしを書くつもりでしたが、受験期のはなしばかりになってしまいました。 最近考えているのは、「塾の可能性」についてなのですが、もうすでに2000字を超えているのでそろそろ終わりにしないと。 食わず嫌いの塾嫌いだったわたしは、大学になり、塾について知りたいという気持ち一心で塾講師のアルバイトを始めます。 そこで、塾が大嫌いになるのですが、大学で「本当に勉強のできる人たち」と出会い、塾の可能性を考え始めます。 このはなしは、また、次にでも書こうかなと思っています。 今回のはなしと、次回のはなしにつながっていることは、自分の経験がすべてではないし、 自分の経験は、自分だったからこそ「いい」と思えたことだったのではないか、ということです。 個人情報を暴露したと怒られそうですが、私の兄の場合は、同じ学校に通っていましたが、学校だけで受験に終止符を打たずに、卒業後1年間予備校生活を送っていたのですが、本当に楽しそうだったので、彼にはそれがあっていたのだろうと思います。 さて、元塾嫌いのわたしが、新幹線に乗って塾業界のインターンシップに行こうとしているのですから、人生って本当になにがあるかわかりませんね。 3年前の自分に伝えたら、こてんぱん(このブログを書いて指摘されるまで「こてんぱ」だと思っていました)に言い返されそうなので、そのときは必死にムキになっている自分をあたたかく見守ろうと思います。 一番初めの写真は、AOの1次試験のあと、家に帰って食べた誕生日ケーキです。 母親の手作りです。 ケーキの上にのっているかわいいピンクのうさぎは、San-xという会社のセンチメンタルサーカスというシリーズの、シャッポというキャラクターです。 チョコレートでできています。 これも、母の手作りです。


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