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知るのはなし。


知るのはなし。
荒木ゆうか

今日は、早起きをして、眠たい目をこすりながら小学校で楽しい時間を過ごしてきた荒木です。別団体での活動のことなので、詳しくは九大ボランティアサークルのFacebookを…(ごにょごにょ)

次回のブログがわたしにとって最終回のブログということで、今回が、最終回前最後のブログとなります。
そう言われると、ちょっとどきどきしちゃいます。

先週の金曜日のはなしです。
インターンシップが終わり、帰路についていたのですが、どうしてもおなかがすいてしまい、家に帰ってつくる気力もなかったので、お店に入ることにしました。
初めて入るお店だったのですが、とてもきれいな店内でした。時間が少しはやかったためか、お客さんはまだ夫婦らしき1組しかおらず、一番奥のテーブル席に座っていました。テーブルは、全部で8台ほどだったと思います。2名用と4名用が半分ずつくらい。入って一目で見渡せるくらいのこじんまりとした空間でした。「お好きなテーブル席にどうぞ。」と言われたので、わたしは、中央にある仕切りの手前の、2名用のテーブル席に座りました。
(中略)
ごはんを食べ始めたところで、新たなお客さんがやってきました。ご高齢の男性の方でした。彼は、わたしのすぐ隣の席に座りました。すぐ隣。4人用のテーブル席の一番わたしに近い席に座りました。
ソファー席だったので、とても存在感を感じ、「どうして、他にもたくさんの席が空いているのに、彼はこの席に座ったのだろう?」と思っていました。
そこで考えた可能性は、2つ。
ひとつめは、そこが彼の席だという可能性。
ふたつめは、私が座った席は本来彼の席であった可能性。
どちらにせよ、申し訳ないな…と思いながら食べました。
けれど、こういう風な可能性を考えたことは初めてでした。
なぜ、このようなことを考えたのか。それはきっと、先日読んだ小説に影響を受けています。

2019年7月、第161回芥川龍之介賞を受賞した今村夏子さんの小説、『むらさきのスカートの女』。
芥川賞というと少し読みにくい印象を持っていたのですが、とても読みやすい小説でした。その小説のなかで、「むらさきのスカートの女の席」というものが出てくるのです。また、そのあとに読んだ、『文學界2019年9月号』に収録されている今村さんのエッセイ、「むらさきのスカートの女、私」でのエピソードにも影響を受けているような気がしています。
興味のある方は、ぜひ。

わたしの考え方は、本によって左右されるようです。
そうそう、本つながりなのですが、最近、「学習している」という実感をようやく得始めて、久しぶりの感覚にわくわくしています。
大学に入り、新しいことばかりで、本を一冊読むのも一苦労という感じだったのですが、最近ようやく新しい言葉に出会っても「これって○○先生の××という著書で△△と呼ばれていたものと同じような概念だな?」と思えるようになりました。週に1度、大学院生に囲まれてゼミを受けているのですが、「これってなんですか?」というと、すぐにそれに関連する本が飛び出てきます。軽く目を通し、それに対して「つまり、こういうことですか?」と聞くと、わたしの理解につなげてその概念について補足情報を教えてくださるので、新規のことばかりを学ぶことよりも、既知の概念と体系づけて学ぶことができるようになった実感があり、楽しいです。ようやく、大学2年半わからないながらも「知る」段階を積んできてよかったなと思えました。

この学び方は、大学選びや、就職活動でも同じように捉えられるのではないかなぁと思っています。
その場合、本ではなく、体験で「知る」ことが多いような気がします。

将来、なりたい職業があまり明確に決まっていないので、とにかくインターンシップに参加をして、インターンシップを通じて、自分を知るという感覚です。まだ、これは、体系づけて考える前の「知る」段階なのだなと実感をしています。自分についても、企業についても、業界についても。夏休み、ちょっと無理しながらでもたくさんの企業のインターンシップに参加をさせてもらったので、ようやく、「自分」についてはある程度知ることができたような気がします。しかし、同じ業界でも、企業ごとにその色はまったく違うということにも気付き、もっと知らなくてはならないことが増えました。それらは、(きっと体験だけでは知り尽くすことはできないと思うので)さまざまな手段で多様な見方で知らなければならないことではないかなとも思っています。

わかることがでたら、わからないことがでてくる。わかりおわることはできない。
なにかを学ぶためにはその前提として学ばれていなければならないことがある。
身をもって感じているこのことも、先日読んだ本の表現の影響を受けています。

学ぶことって、何歳になっても、どんな分野でも、楽しいものだなぁと実感している毎日です。この気持ちは、WITH-Üを卒団しても、忘れずにいたいものです。


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