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世界が切り取られた後のはなし


世界が切り取られた後のはなし
筒井優菜

明けましておめでとうございます。
旧年中は、筒井が考えたたくさんの言葉たちをお読みいただき、大変ありがとうございました。
このブログが初めての方も、旧年から引き続き読んでくださってる方も。
本年もよろしくお願いいたします。

さてさて、新年最初の挨拶はこれくらいにして。

世の中にはわからないことが多すぎる、と最近つくづく感じます。

人は、一生の間に一体どれだけのことを知り、理解し、そのうちどれだけのものが「正解」や「価値のあるもの」なのでしょうか。

故きを温ねて新しきを知る、という言葉があります。
もう少し詳しく言うと、
故きを温ねて新しきを知れば、以て師となるべし。
ですが。

数学の時間や物理の時間に登場した数式、を例にとりましょう。

ヒトは、いつの頃からか、世界を記述することを始めました。

最初は、指差し、だったのかもしれません。それが、絵になったり、文字と呼ばれるようなものに変化したり、音に意味をのせてみたり。

記憶(記録)をするため、家族や親交のある人に伝えるため、まだ見ぬ誰かにメッセージを託すため、、、などなど。
いろんな目的があったのかもしれません。

その世界の記述する道具のひとつとして、数式があります。

今までに数多くの人が、世界を数式を用いて記述しようと試みてきました。
ヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュートン、アルベルト・アインシュタインといった「有名な」人たちから無名の人たちまで。
それは時として、正解とされたり、間違いとされたり、さらに簡素化されたり、何かに応用されたり。

その知識の蓄積を土台にしながら、新たな世界の記述方法が今も考えられています。

そう思うと、教科書を読んでいるだけで、会ったこともない無数の人たちから色々な長さ・太さ・色の知識のバトンを手渡されているような気持になります。(筒井だけなのかもしれないけど)

その知識のバトンをどれだけ受け取り、どれだけ次の走者へと渡していけるのでしょうか。

ヒトが暮らす世界には、様々な「言語」が存在し、その話し手が織りなす「文化」が存在します。

私は、その「文化」の一端にしか触れることができません。

筒井は、ことばが好きです。そして、そのことばが切り取る「世界」のことも好きです。
様々な方法で切り取られた「世界」を余すことなく消化出来たらどれだけ幸せなことなのか、と思います。

でも、それには時間と脳の容積があまりにも足らないようです。

この瞬間にも、様々な「世界」が生まれたり、語り継がれたり、消えたりしています。

その鼓動だけでも、静かに耳を傾けて感じ取りたい。

今日のブログは、感じたことしか書いていないので、収拾が全くついておりません。取っ散らかってるや。

最後に、何が「正解」で何が「価値のあるもの」なのでしょうか。

大学生になって、誰かの「正義」と「正義」がぶつかる瞬間に気づくことが増えました。

私にとって正しいことが相手にとっては正しくないこともあるし
私が大切に取っておきたいものは、誰かにとってはガラクタのようなものに見えることが増えてきて。

自分の「軸」が揺らぎまくっている今日この頃です。

それを見透かしてか、今年のおみくじは、要約すると、自分の心に素直になりなさい、とのことでした。
達成できるかな?

今年は、なるべく自分に合わせてゆるっと生きていこうと思います。
去年はたくさん人の価値観と出会えたから、今年は自分のいろんな面に気づける年にできたらいいな。

以上、新年の抱負。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

PS.写真は、チームラボさんの作品。年末に違う場所で2度も出会うことができて幸せでした。


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