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自分とは何か


自分とは何か
筒井優菜

コロナウイルスで色々な影響が出てますね…
コロナの被害の話は耳にしているし、日本でも世界各国でもさまざまな変化が着着と起こっています。

でも、私にとっては幸いなことにまだ大きな影響ががなく、実感がわかない。
確かにそこにはあるのに見えない、掴めない。
なんだか、となり町戦争を彷彿とさせます…

きっと、この一連の出来事は「歴史」の教科書に刻まれるでしょう。
日本史の、世界史の出来事の渦中にいるのか、と思うとなんだか不思議です。

さあ、話も暗いし前置きはこれくらいにして。

以前、ことばはファッション性を持っているという話をしたの覚えてますか?
自分が自分をどう見せたいかによって自然と選ばれる語彙があるように思います。

今日はそこからもう少し範囲を広げて自分をどう見せるか、そしてどう見られるか、のおはなし。

最近、自分史年表というものを作っています。
自分がこれまで歩んできた人生を歴史の教科書を作るように残しておきたいポイントに絞ってまとめていきます。
そのまとめる、という過程で、歴史を取捨選択するわけです。
どの歴史を選び、それをどこまで掘り下げて記載するか。
暗に他人に自分がどう見られたいかという発想が隠れているのではないかなあと思います(知り合いに見せることを前提として作っているので…)

もう少し一般的な例を出すと、自己紹介で何を話すか、もですね。
名前、職業、所属、出身、趣味、習慣……
自分を自分たらしめている大小様々なかけらから相手に見せたい部分だけを掴み取って差し出す。
その過程で見せたい自分像が確立されていくのかなあと思います。

筒井はたまに見せたい自分像と本当の自分像のギャップ(隔たり)が大きくなって苦しみます。なるべくこの壁をうすーくしたいですね。

でもそのためには、逆にほかの人は私をどう見ているかという側の情報も必要な気がします。
みなさんは筒井のことをどんな風に見ているのでしょう…

以前、ある課題で「あなたは誰ですか?」というものがありました。
私の答えは、「石」。
は??となりますね。
石と言ってもサファイアやガーネットといった鉱物の原石(加工する前のもの)、です。

自己を捕えるためには他者の存在が必要だと思います。
自己と他者の間に線引き(隔たり)かあって初めて自己を知覚できる。
そして、自分の姿は自分から見ることは一生できません。
何らかのフィルターを通す必要があります。
誰かの目、鏡、カメラなどなど…
つまり、自分以外の何かに自分に切込みを入れて取り出してみてもらう必要があるわけです。

宝石は作る過程で石を切り出したり、磨いたりします。
これって私について知る過程とすごく似てるなと思って。
宝石は作る職人によって削り方磨き方が変わるので微妙に輝きが変わってきます。
物理的には不可能ですが全く同じ成分で全く同じように成長してきた同じ大きさの鉱物を違う人に加工させたとしても加工後のそれは違うものになるのではないでしょうか。
つまりは、切り取る(私を見る)人によってその見え方は変わる、見えている自分像は変化するという話です。

今までのブログを通してみなさんはどんな私に出会ってきましたか?
どんな風にことばやそれらの繋がりを感じ取り、どんな風に私が話す内容を味わっていたのでしょうか。

私は、なるべく自分の心のなかでつぶやく言葉を選び、話したいけどなかなか話そうとはしない話題を多く選んできたつもりです。
いつも一人で頭の中でぐるぐると考えているような話題を。

誰かのために作ったスープの味の感想が気になるように、今までのブログがどんな風に見えるかも気になっちゃいますね(笑)

相変わらず話が要領を得ないですね…
まあ、それも私もということで開き直っちゃいますが。

さてさて今日はこの辺で。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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